5月について

「母の日はいつ?由来は?母の日に渡すと喜ばれるものは?」

母の日は、毎年5月の第2日曜日と決まっています。

これは、1914年にアメリカ連邦議会で「5月の第2日曜日を『母の日』とするとの

決定がなされ、翌1915年から法律が施行されたことに始まります。

そのきっかけとなったのは、アンナ・ジャービスというアメリカの女性が、1905年の5月に残念ながらなくなってしまい、その3年後に苦労して育ててくれた母親への感謝と追悼の意味を込めて、ウェストバージニア州の教会で母の霊前に生前好きだった白いカーネーションを沢山飾り、参列者にも同じく白いカーネーションを配りました。

この感動的な母を偲ぶ会を広めようとアンナさんは、その後も運動を起こし、たちまち話題となって、まねる人たちが続々と増え、全米にと広がっていったそうです。

そしてまず、1910年にウェストバージニア州で「母の日」が認定されると、1914年には、アメリカ連邦議会で「5月の第2日曜日が『母の日』」と法律で定められます。

さらに、翌1915年より、「母の日」が祝日となったのです。

このアンナさんの母親は、南北戦争のさいに、ちょうど北軍と南軍が入り交じるウェストバージニア州のウェブスターという地域にあって、地域医療や衛生環境の改善を目指すボランティア団体の運営に携わっていました。

大変劣悪な環境下で、アンナさんの母親を始めとするその団体のメンバーは、重い感染症が兵士の中に広まっているさなか、負傷する兵士も含めて、北軍、南軍関係なく懸命な治療に当たりました。

戦争後もアンナさんの母親は、さらに世の平和や子供の教育の充実を期して、ボランティア活動を続けて行きました。

このような立派な母親だからこそ、そのお蔭で助かったような人たちが、この「母を偲ぶ会」に大勢参列したでしょうし、この偲ぶ会を広める運動にも賛同したことでしょう。

日本では、キリスト教徒を中心に、アメリカで法制化された1915年頃からひっそりと「母の日」のお祝いが始まっていたとも言われていますが、この日が特にメジャーに成ったのは、1937年以降のことです。

あのキャラメルやウィダーインゼリーで有名な「森永製菓」が、中心となって1936年(昭和11年)に

『母の日中央委員会』を結成し、翌1937年に「母をたたえる歌」を募集しました。と同時に、この年の5月8日には第1回「森永母の日大会」を東京都の遊園地である豊島園で大々的に開催しました。

なんと20万人もの母親が子供たちとともに無料招待を受けて、お菓子引換券をもらったりして、遊具でも子供ともに楽しんだどうです。さぞかし、喜ばれたことでしょうね。想像するだけでも感動的です。

この「森永母の日大会」の様子はメディアを通じて全国に報じられて、ここから『母の日』が広まって行きました。

アメリカでは、アンナさんの起こした運動がきっかけで、生きている母親には「赤いカーネーション」を

捧げるという習慣が広まっていました。日本にもこれが、一種の流行のようにして広がっていったのです。

さて、そんな母の日ですが、「カーネーション」を渡すと母親は喜んでくれるのでしょうか。

基本的に、母親は子供がすることには喜んでくれるので、「カーネーション1輪」でも、きっと嬉しいと思ってくれることでしょう。

ただそれは、「花」という形あるものに対して、というよりは自分が少なからず、苦労しながら育てた子供が、自身のことを気にかけてくれている、感謝してくれているという心が伝わって琴線に触れたときに感動すると言えるのではないでしょうか。

カーネーションは、時間が経てば、あっという間に枯れてしまいます。でも向けられた温かい心は、その母親の心の中に想い出として残って行きます。

喜ばれるもの、というのは必ず「花」というのではなく、そこに親子ならではのストーリーというか、

その家なりのストーリーと言うか・・・例えば、お母さんの手が冬が過ぎてもまだ痛々しく荒れていたら、

「ハンドクリームひとつ」でも喜ばれるでしょう。それを直接手に塗ってあげれば、その喜びはきっと倍増することと思います。

いつも、身を粉にして自分の時間が無いお母さんには、兄弟(姉妹)がいればみんなで手分けして、

夕食を買い出しから後片付けまで、上げ膳据え膳で全てして上げたら、涙物かもしれませんよね。

そんなことを、心の中でアレコレと計画しているときから『母の日』は既に始まっているのではないでしょうか?

最後に、アンナさんの母親を想う純粋な心に、脱帽するとともに、同じ子供という立場で、見習って行きたいものだと思いました。

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